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聖バジリオとナジアンズの聖グレゴリオ司教教会博士    記念日 1月2日

  

 バジリオとグレゴリオは2人とも、カイザリア市で生まれたが、彼等が出会って親しい友となったのは、アテネ大学の学生時代であった。バジリオは頭が良く大学教授になったが、まもなく倦きて修道者になり、ポントスのイリス河の岸でひとりで隠修士の生活を5年間試みた。しかし多くの人々が教えを求めて来たので、彼等の為に修道院を創立した。修道士として共同生活を望んだ人々の為に彼が書いた規則は今でも東方教会の修道生活の基本となっている。
 バジリオのすばらしい説教は、多くの未信者を改宗させることができるだろうとグレゴリオは考えて、バジリオに勧めて修道院を去らせた。370年、バジリオはカイザリアの大司教に選ばれた。彼は自分の財産を投げ出して貧しい人々のために病院を建てたが、多くの異教徒たちは彼を嫌った。ローマの皇帝は総督を送って、バジリオをアリウス派の異端に引き入れようと説得させたが、彼はそれを断った。総督は財産の没収か死刑に処すると言って脅迫したが、バジリオは平然として自分の持ち物は2、3枚の古着と数冊の書籍にすぎないので、没収は何でもないし、この地上では天国へ行く途中の旅人だから流罪でもかまわない、死刑になってもそれは自分が全生涯を献げた神に近づくことだから嬉しいことだと答えた。そこで総督は彼を放っておくことにした。
 バジリオは、グレゴリオが司教になるように取りはからったが、グレゴリオはそれに値しないと言って任命を嫌い、立派な儀式を拒絶した。多くの人々がグレゴリオの説教を聞きに集まった。彼はバジリオをほめ続けた。379年にバジリオは49歳で死去した。グレゴリオは11年後に亡くなり、2人とも教会博士として今日でも尊ばれている。